2012年02月22日
ひびわれ壺
ひびわれ壺
(作者不詳 菅原裕子訳)
インドのある水汲み人は、
ふたつの壺をもっていました。
天秤棒の両はしにそれぞれの壺をさげ、
首のうしろで肩にかついで
彼は水を運びます。
壺のひとつにはひびが入っています。
もうひとつの完璧な壺が
小川からご主人さまの家まで
一滴の水もこぼさないのに、
ひびわれ壺は
水汲み人が水をいっぱい入れてくれても、
ご主人さまの家に着くころには
半分になっているのです。
完璧な壺は
いつも自分を誇りに思っていました。
なぜなら、
彼がつくられたその本来の目的を
いつも達成することができたから。
ひび割れ壺は
いつも自分を恥じていました。
なぜなら、
彼がつくられたその本来の目的を
半分しか
達成することができなかったから。
二年がすぎ、
すっかりみじめになっていたひびわれ壺は
ある日、川のほとりで
水汲み人に話しかけました。
「わたしは自分が恥ずかしい。
そして、あなたにすまないと思っている」
「なぜそんなふうに思うの?」
水汲み人はたずねました。
「何を恥じているの?」
「この二年間、わたしはこのひびのせいで
あなたのご主人様の家まで
半分の水しか運べなかった。
水がもれてしまうから、
あなたがどんなに努力をしても、
その努力が報われることがない。
わたしはそれがつらいんだ」
壺は言いました。
水汲み人はひびわれ壺を気の毒に思い、
そして言いました。
「これからご主人さまの家に帰る途中、
道ばたに咲いている
きれいな花を見てごらん」
天秤棒にぶらさげられて丘を登っていくとき、
ひびわれ壺は、
おひさまにてらされて美しく咲き誇る
道ばたの花に気づきました。
花はほんとうに美しく
壺はちょっと元気になった気がしましたが、
ご主人さまの家に着くころには
また水を半分もらしてしまった自分を恥じて
水汲み人に謝りました。
すると彼は言ったのです。
「道ばたの花に気づいたかい?
花が君の側にしか咲いていないのに
気づいたかい?
ぼくはきみからこぼれ落ちる水に気づいて、
きみが通る側に花の種をまいたんだ。
そしてきみは毎日、
ぼくたちが小川から帰る途中
水をまいてくれた。
この二年間、
ぼくはご主人さまの食卓に
花を欠かしたことがない。
きみが
あるがままのきみじゃなかったら、
ご主人さまは
この美しさで家をかざることは
できなかったんだよ」
わたしたちはみな、それぞれユニークなひびわれを持っています。
わたしたちひとりひとりがひびわれ壺なのです。
わたしたちはよく、自分を責めます。
「できなかった」と。
「やりすぎた」と。
でもよく見てください、あなたの足元を。
あなたのひびがあるおかげで花の種は育ちます。
ひびがこぼしてくれる水のおかげです。
あなたのひびはかならずだれかに水を与えます。
あなたのひびはかならず何かに輝きを与えます。
その誰かを探すこと、その何かを探すこと、
それが私たちの仕事です。
子どもたちの声に耳を澄ましてください。
彼らは言います。
「ひびを責めたり嘆いたりするかわりに、
どうしたら花を咲かせることができるかをいっしょに考えよう」と。
そのために、彼らはわたしたちのところにやって来たのだから。
(以上、菅原さんのお言葉より抜粋)
いつも読ませていただいているナガブロのカブさんのブログに
紹介されていたお話です。
とても感動して本屋さんでこの本を偶然みつけて
剣道仲間のみなさんにも紹介したくなりました。
わたしも子どもたちにそっとそっと
たくさんの種をまいてあげたいな
って思いました。
(作者不詳 菅原裕子訳)
インドのある水汲み人は、
ふたつの壺をもっていました。
天秤棒の両はしにそれぞれの壺をさげ、
首のうしろで肩にかついで
彼は水を運びます。
壺のひとつにはひびが入っています。
もうひとつの完璧な壺が
小川からご主人さまの家まで
一滴の水もこぼさないのに、
ひびわれ壺は
水汲み人が水をいっぱい入れてくれても、
ご主人さまの家に着くころには
半分になっているのです。
完璧な壺は
いつも自分を誇りに思っていました。
なぜなら、
彼がつくられたその本来の目的を
いつも達成することができたから。
ひび割れ壺は
いつも自分を恥じていました。
なぜなら、
彼がつくられたその本来の目的を
半分しか
達成することができなかったから。
二年がすぎ、
すっかりみじめになっていたひびわれ壺は
ある日、川のほとりで
水汲み人に話しかけました。
「わたしは自分が恥ずかしい。
そして、あなたにすまないと思っている」
「なぜそんなふうに思うの?」
水汲み人はたずねました。
「何を恥じているの?」
「この二年間、わたしはこのひびのせいで
あなたのご主人様の家まで
半分の水しか運べなかった。
水がもれてしまうから、
あなたがどんなに努力をしても、
その努力が報われることがない。
わたしはそれがつらいんだ」
壺は言いました。
水汲み人はひびわれ壺を気の毒に思い、
そして言いました。
「これからご主人さまの家に帰る途中、
道ばたに咲いている
きれいな花を見てごらん」
天秤棒にぶらさげられて丘を登っていくとき、
ひびわれ壺は、
おひさまにてらされて美しく咲き誇る
道ばたの花に気づきました。
花はほんとうに美しく
壺はちょっと元気になった気がしましたが、
ご主人さまの家に着くころには
また水を半分もらしてしまった自分を恥じて
水汲み人に謝りました。
すると彼は言ったのです。
「道ばたの花に気づいたかい?
花が君の側にしか咲いていないのに
気づいたかい?
ぼくはきみからこぼれ落ちる水に気づいて、
きみが通る側に花の種をまいたんだ。
そしてきみは毎日、
ぼくたちが小川から帰る途中
水をまいてくれた。
この二年間、
ぼくはご主人さまの食卓に
花を欠かしたことがない。
きみが
あるがままのきみじゃなかったら、
ご主人さまは
この美しさで家をかざることは
できなかったんだよ」
わたしたちはみな、それぞれユニークなひびわれを持っています。
わたしたちひとりひとりがひびわれ壺なのです。
わたしたちはよく、自分を責めます。
「できなかった」と。
「やりすぎた」と。
でもよく見てください、あなたの足元を。
あなたのひびがあるおかげで花の種は育ちます。
ひびがこぼしてくれる水のおかげです。
あなたのひびはかならずだれかに水を与えます。
あなたのひびはかならず何かに輝きを与えます。
その誰かを探すこと、その何かを探すこと、
それが私たちの仕事です。
子どもたちの声に耳を澄ましてください。
彼らは言います。
「ひびを責めたり嘆いたりするかわりに、
どうしたら花を咲かせることができるかをいっしょに考えよう」と。
そのために、彼らはわたしたちのところにやって来たのだから。
(以上、菅原さんのお言葉より抜粋)
いつも読ませていただいているナガブロのカブさんのブログに
紹介されていたお話です。
とても感動して本屋さんでこの本を偶然みつけて
剣道仲間のみなさんにも紹介したくなりました。
わたしも子どもたちにそっとそっと
たくさんの種をまいてあげたいな
って思いました。