2013年11月07日
お母さん ぼく 星になったよ
知り合いの方から
こんなコンサートのチラシを送っていだだきました♪
私も行ってみたいと思っています。皆さんも時間があったらいかがすか?

第1部は
「お母さん ぼく 星になったよ」朗読っとありましたので
インターネットで調べてみました。
読んだ瞬間 涙があふれました。
「絵本 お母さん ぼく 星になったよ」HPより
2010年5月29日早朝5時半、
ひとり息子、翔弥は、脳内出血のため、
突然天国へと旅立っていきました。
まだ18歳でした。
いつもと違う翔弥がいた
亡くなる前日は、
バラエティー番組を見ながら、
翔弥と私は、笑っていました。
その日の翔弥は、
いつもより「ありがとう」という
感謝のことばを繰り返していました。
食事をあげると
「おいし~い!」
「ありがとう!」
ベッドのふとんを直すと、
「気持ちいい~!」
「ありがとう!」
その、「ありがとう」と言う
翔弥の声、
翔弥の言い方、
翔弥のしぐさが、
なにかが、いつもと違う
翔弥がいました。
「ありがとう」
といいながら、
私の目を、
ジーーーと
見つめてきました。
その目は、なんとも言えない透き通った瞳で、
私の瞳の奥の深いところを見ているようでした。
私に何かを、伝えたい感じでした。
自分が亡くなることを分かっていた
そして翔弥は、
休む1時間ほど前に、
何かを思い出したかのように
「あっ!ぼく、あした死ぬわー」と、
か細い声でハッキリといったのです。
それはまるで、
「ぼく、あした、○○君のところへ遊びにいくわー」
といった感じでした。
私が
「えっ?」
と聞きかえすと、
「きこえなかったのならいいよ。」
と、翔弥はそう言って
携帯を触っていました。
私は、翔弥の言っている言葉は、
ハッキリと聞こえたのですが、
言っている意味が分かりませんでした。
いつもの翔弥は、不安な事があると、
電気をつけたまま、真夜中まで起きていました。
その日は、めずらしく、夜11時に、
「ぼく、寝るね。」
「電気消していいよ。」 と言ったのです。
「そう?」
「じゃおやすみなさい。」 と私がいうと、
翔弥も、
「おやすみなさい。」と、
それが翔弥の最後のことばとなりました。
突然の別れ
いつもと変わらない朝がくると思っていました。
私は朝5時すぎに、
ふと目が覚め、
翔弥のところに引きつけられるように、
近づくと、 翔弥はまるで私を待っていたかのように、
安心した表情を見せ、
フッと息をひきとったのです。
だけど、その時の私は、
突然の出来事に、
今、いったい何が起きているのか?
受け止めることができないでいました・・・。
別れの時、
大勢の人たちが、
翔弥に会い来て下さいました。
翔弥の顔を見て、みんな口々に、
「きれいな顔だね。」
「ずっと眺めていたい!」と・・・
翔弥が、微笑みながら、
一人ひとりに語りかけているようでした。
あ~そうか・・・
翔弥が、みんなと私を繋げてくれていたんだ。
そして、みんなの中で、すべての中で、
翔弥も、私も生かされていたんだ。
翔弥の頬を触りながら、
「翔弥、ありがとう!」
と、語りかけ、
それでも、肉体との別れはとても辛く、
いつまでも、いつまでも、
抱きしめていたかった。
翔弥からのメッセージ
星降る夜
初七日の頃の夜、
私は「翔弥!翔弥!」と、
うなされていました。
そのとき、
私の右手をにぎり、
小学6年生ぐらいの美しい少年が、
私の寝ている横に座っていました。
私はその少年に、
「翔弥ー!」
と叫んでいました。
少年は私に、
テレパシーのような感じで、
メッセージを送ってくれたのです。
そのメッセージの言葉は、
翔弥が不安がっている時、
翔弥の手を握り、
私が、いつも、
翔弥に、声をかけていた言葉でした!
私は、その少年が翔弥だと気付くと、
翔弥は、微笑んで、
私を、光の中に導き、
温かな光に包まれたのです。
私は、とても癒されました。
メッセージを絵本に
癒された私は、
翔弥のメッセージを絵本にしよう!と、
決心しました。
絵本になったイメージが、
私にはハッキリと見えていました。
絵本にする事、それ以外は考えられずにいました。
しかし、その作業は、
翔弥の死と向き合うことでした。
何度も何度も苦しくなり、
描けなくなる日もあり、
私は、動くことも出来ず、
横になっていると・・・。
翔弥が、私が寝ている布団に入り、
私が、翔弥にしてあげたように、
添い寝をしてくれ、
抱きしめてくれた感じがしました。
私は、元気を取り戻し、
つくえに向かい、
絵を描いていると、
シャワーのように、
どんどんと翔弥からメッセージが降りてきました。
私が手にしている、
えんぴつ。
消しゴム。
画用紙。
私に映って見える物、見える物
すべてが、光っていました。
今、翔弥が、
見えている物が、
私に見えているんだ!
翔弥が、私に伝えたかった事は、
この事なんだ!
と思うと、苦しみながらも、
翔弥と一緒に描いている歓びに満ちあふれていました。
息子翔弥のメッセージを伝えたい!
という思いは
私の生きていく力となりました。
私は、この温かな光で、
人と繋がりたい!と思いました。
私は、てるるんさんに、パステルカラーをお願いしました。
私が描いた絵と翔弥のメッセージの、
インスピレーションが、
てるるんさんの、
色とイメージがぴったりと合っていき、
てるるんさんは、
翔弥の宇宙を、愛を、
表現して下さいました。
そしてまた、
私たちは、温かな光に包まれたのです。
絵本の原画は、翔弥が天国に逝ってから、
6ヶ月で仕上げました。
絵本を出版しようと思った時、
人と人のつながりの中、
いろいろな方と出逢い、力と知恵を頂きました。
話がトントンと進み、3ヶ月間で、出版が決まり、
事がスムーズに流れていき。
2011年3月14日に、
全国の主要書店に並ぶ事なりました。
そして、東日本大震災が起きた、まさにその日の朝刊に、
私の絵本出版を紹介する記事が、
地元新聞に、載ったのです。
また、その一週間後、
地元テレビでも紹介して下さいました。
絵本が出来上がり出版までの出来事が、
まるで、
何か不思議な力が働いているようでした。
この絵本を出版するにあたり、
関わって下さった方、
支えて下さった多くの方々が、
一人でも欠けても、
絵本出版には至らなかったと思います。
皆さま、おひとりお一人に、
心より、感謝しつつ。
この絵本を手にして下さった方々が、
温かな光に触れることができ、
傷ついた心が癒され、
勇気付けられ、
生きていく希望が得られる事が出来たら、
うれしく思います。
“死”と向き合ったとき“生”を感じる
翔弥は、学校生活に馴染めず、
小中学校はほとんど学校に通うことが出来ず、
山の方の自然にあふれたフリースクールに通いました。
翔弥は、生まれつきこだわりが強く、
日常のちょっとしたことでも、
納得するまで、何時間でも、何日でも、
同じ話を私に、訴え続けます。
毎日の生活の中、不安に思う事が、 数多くあり、
週の半分以上は、
真夜中まで、眠れず、
泣いたり、わめいたり、叫んだりして私にぶつけていました。
そんな時は、
翔弥の手を握り、
「うん、うん」
と、頷きながら、
翔弥が、安心して眠るまで、
側にいて、あげていました。
翔弥は、小さな虫一匹でも、
外に逃がしてあげる。
とても純粋でやさしい子でした。
けれども、人とのコミュニケーションをとるのが、
とても苦手で、
ストレスがかなりあったと思います。
私は、
勉強ができなくても、特別偉い人間にならなくてもいい。
お笑いやアニメなどを観ながら、
楽しかった出来事を話し、
一緒に笑い、
翔弥の笑顔を観ている時が、
私の一番の、しあわせな時間でした。
この時間が、いつまでも、いつまでも、
つづくと思っていました。
翔弥の声が聞きたい!
翔弥の肌に触れたい!
翔弥を思いっきり抱きしめたい!
「何とかして、翔弥を、この世に戻して!!」
と・・・
今でも、
叫びたくなる時があります。
そんな、どうすることも出来ない苦しみと
深い悲しみの中、
喪失感が行ったり来たりしながらも、
それでも・・・
朝になると、太陽がのぼり、
ちゃんと目が覚め、
体が動き出し、
泣いたり、怒ったり、
笑ったりしながら一日を過ごし、
陽が沈み、
翔弥が好きだった夕日を眺め。
夜になると、光輝く月や星たちに祈り。
今まで味わった事のない、
穏やかで、
なんとも言えない幸福感に満たされ、
生きています。
もう、二度と笑うことが出来ないと思っていました。
翔弥が、
「お母さんは、ひとりぼっちじゃないよ。」
と、
すべてと繋がっていること教えてくれ、
今、この時この時を、
生かされていることに感謝して、
生きている歓びを感じています。
翔弥からのメッセージがなかったら、
きっと私は、
翔弥の後を追い、
肉体を終わらせていたかも知れません。
皆さまに、
翔弥の温かい愛の光のメッセージを、
この絵本を通して、
お贈りいたします。
そして、少しでも多くの人々が、
生きている歓び希望を感じ、
心からの平安が訪れ、
本来の自分を取り戻されることを、
心よりお祈り申し上げます。
ハーティアー・美栄子
こんなコンサートのチラシを送っていだだきました♪
私も行ってみたいと思っています。皆さんも時間があったらいかがすか?
第1部は
「お母さん ぼく 星になったよ」朗読っとありましたので
インターネットで調べてみました。
読んだ瞬間 涙があふれました。
「絵本 お母さん ぼく 星になったよ」HPより
2010年5月29日早朝5時半、
ひとり息子、翔弥は、脳内出血のため、
突然天国へと旅立っていきました。
まだ18歳でした。
いつもと違う翔弥がいた
亡くなる前日は、
バラエティー番組を見ながら、
翔弥と私は、笑っていました。
その日の翔弥は、
いつもより「ありがとう」という
感謝のことばを繰り返していました。
食事をあげると
「おいし~い!」
「ありがとう!」
ベッドのふとんを直すと、
「気持ちいい~!」
「ありがとう!」
その、「ありがとう」と言う
翔弥の声、
翔弥の言い方、
翔弥のしぐさが、
なにかが、いつもと違う
翔弥がいました。
「ありがとう」
といいながら、
私の目を、
ジーーーと
見つめてきました。
その目は、なんとも言えない透き通った瞳で、
私の瞳の奥の深いところを見ているようでした。
私に何かを、伝えたい感じでした。
自分が亡くなることを分かっていた
そして翔弥は、
休む1時間ほど前に、
何かを思い出したかのように
「あっ!ぼく、あした死ぬわー」と、
か細い声でハッキリといったのです。
それはまるで、
「ぼく、あした、○○君のところへ遊びにいくわー」
といった感じでした。
私が
「えっ?」
と聞きかえすと、
「きこえなかったのならいいよ。」
と、翔弥はそう言って
携帯を触っていました。
私は、翔弥の言っている言葉は、
ハッキリと聞こえたのですが、
言っている意味が分かりませんでした。
いつもの翔弥は、不安な事があると、
電気をつけたまま、真夜中まで起きていました。
その日は、めずらしく、夜11時に、
「ぼく、寝るね。」
「電気消していいよ。」 と言ったのです。
「そう?」
「じゃおやすみなさい。」 と私がいうと、
翔弥も、
「おやすみなさい。」と、
それが翔弥の最後のことばとなりました。
突然の別れ
いつもと変わらない朝がくると思っていました。
私は朝5時すぎに、
ふと目が覚め、
翔弥のところに引きつけられるように、
近づくと、 翔弥はまるで私を待っていたかのように、
安心した表情を見せ、
フッと息をひきとったのです。
だけど、その時の私は、
突然の出来事に、
今、いったい何が起きているのか?
受け止めることができないでいました・・・。
別れの時、
大勢の人たちが、
翔弥に会い来て下さいました。
翔弥の顔を見て、みんな口々に、
「きれいな顔だね。」
「ずっと眺めていたい!」と・・・
翔弥が、微笑みながら、
一人ひとりに語りかけているようでした。
あ~そうか・・・
翔弥が、みんなと私を繋げてくれていたんだ。
そして、みんなの中で、すべての中で、
翔弥も、私も生かされていたんだ。
翔弥の頬を触りながら、
「翔弥、ありがとう!」
と、語りかけ、
それでも、肉体との別れはとても辛く、
いつまでも、いつまでも、
抱きしめていたかった。
翔弥からのメッセージ
星降る夜
初七日の頃の夜、
私は「翔弥!翔弥!」と、
うなされていました。
そのとき、
私の右手をにぎり、
小学6年生ぐらいの美しい少年が、
私の寝ている横に座っていました。
私はその少年に、
「翔弥ー!」
と叫んでいました。
少年は私に、
テレパシーのような感じで、
メッセージを送ってくれたのです。
そのメッセージの言葉は、
翔弥が不安がっている時、
翔弥の手を握り、
私が、いつも、
翔弥に、声をかけていた言葉でした!
私は、その少年が翔弥だと気付くと、
翔弥は、微笑んで、
私を、光の中に導き、
温かな光に包まれたのです。
私は、とても癒されました。
メッセージを絵本に
癒された私は、
翔弥のメッセージを絵本にしよう!と、
決心しました。
絵本になったイメージが、
私にはハッキリと見えていました。
絵本にする事、それ以外は考えられずにいました。
しかし、その作業は、
翔弥の死と向き合うことでした。
何度も何度も苦しくなり、
描けなくなる日もあり、
私は、動くことも出来ず、
横になっていると・・・。
翔弥が、私が寝ている布団に入り、
私が、翔弥にしてあげたように、
添い寝をしてくれ、
抱きしめてくれた感じがしました。
私は、元気を取り戻し、
つくえに向かい、
絵を描いていると、
シャワーのように、
どんどんと翔弥からメッセージが降りてきました。
私が手にしている、
えんぴつ。
消しゴム。
画用紙。
私に映って見える物、見える物
すべてが、光っていました。
今、翔弥が、
見えている物が、
私に見えているんだ!
翔弥が、私に伝えたかった事は、
この事なんだ!
と思うと、苦しみながらも、
翔弥と一緒に描いている歓びに満ちあふれていました。
息子翔弥のメッセージを伝えたい!
という思いは
私の生きていく力となりました。
私は、この温かな光で、
人と繋がりたい!と思いました。
私は、てるるんさんに、パステルカラーをお願いしました。
私が描いた絵と翔弥のメッセージの、
インスピレーションが、
てるるんさんの、
色とイメージがぴったりと合っていき、
てるるんさんは、
翔弥の宇宙を、愛を、
表現して下さいました。
そしてまた、
私たちは、温かな光に包まれたのです。
絵本の原画は、翔弥が天国に逝ってから、
6ヶ月で仕上げました。
絵本を出版しようと思った時、
人と人のつながりの中、
いろいろな方と出逢い、力と知恵を頂きました。
話がトントンと進み、3ヶ月間で、出版が決まり、
事がスムーズに流れていき。
2011年3月14日に、
全国の主要書店に並ぶ事なりました。
そして、東日本大震災が起きた、まさにその日の朝刊に、
私の絵本出版を紹介する記事が、
地元新聞に、載ったのです。
また、その一週間後、
地元テレビでも紹介して下さいました。
絵本が出来上がり出版までの出来事が、
まるで、
何か不思議な力が働いているようでした。
この絵本を出版するにあたり、
関わって下さった方、
支えて下さった多くの方々が、
一人でも欠けても、
絵本出版には至らなかったと思います。
皆さま、おひとりお一人に、
心より、感謝しつつ。
この絵本を手にして下さった方々が、
温かな光に触れることができ、
傷ついた心が癒され、
勇気付けられ、
生きていく希望が得られる事が出来たら、
うれしく思います。
“死”と向き合ったとき“生”を感じる
翔弥は、学校生活に馴染めず、
小中学校はほとんど学校に通うことが出来ず、
山の方の自然にあふれたフリースクールに通いました。
翔弥は、生まれつきこだわりが強く、
日常のちょっとしたことでも、
納得するまで、何時間でも、何日でも、
同じ話を私に、訴え続けます。
毎日の生活の中、不安に思う事が、 数多くあり、
週の半分以上は、
真夜中まで、眠れず、
泣いたり、わめいたり、叫んだりして私にぶつけていました。
そんな時は、
翔弥の手を握り、
「うん、うん」
と、頷きながら、
翔弥が、安心して眠るまで、
側にいて、あげていました。
翔弥は、小さな虫一匹でも、
外に逃がしてあげる。
とても純粋でやさしい子でした。
けれども、人とのコミュニケーションをとるのが、
とても苦手で、
ストレスがかなりあったと思います。
私は、
勉強ができなくても、特別偉い人間にならなくてもいい。
お笑いやアニメなどを観ながら、
楽しかった出来事を話し、
一緒に笑い、
翔弥の笑顔を観ている時が、
私の一番の、しあわせな時間でした。
この時間が、いつまでも、いつまでも、
つづくと思っていました。
翔弥の声が聞きたい!
翔弥の肌に触れたい!
翔弥を思いっきり抱きしめたい!
「何とかして、翔弥を、この世に戻して!!」
と・・・
今でも、
叫びたくなる時があります。
そんな、どうすることも出来ない苦しみと
深い悲しみの中、
喪失感が行ったり来たりしながらも、
それでも・・・
朝になると、太陽がのぼり、
ちゃんと目が覚め、
体が動き出し、
泣いたり、怒ったり、
笑ったりしながら一日を過ごし、
陽が沈み、
翔弥が好きだった夕日を眺め。
夜になると、光輝く月や星たちに祈り。
今まで味わった事のない、
穏やかで、
なんとも言えない幸福感に満たされ、
生きています。
もう、二度と笑うことが出来ないと思っていました。
翔弥が、
「お母さんは、ひとりぼっちじゃないよ。」
と、
すべてと繋がっていること教えてくれ、
今、この時この時を、
生かされていることに感謝して、
生きている歓びを感じています。
翔弥からのメッセージがなかったら、
きっと私は、
翔弥の後を追い、
肉体を終わらせていたかも知れません。
皆さまに、
翔弥の温かい愛の光のメッセージを、
この絵本を通して、
お贈りいたします。
そして、少しでも多くの人々が、
生きている歓び希望を感じ、
心からの平安が訪れ、
本来の自分を取り戻されることを、
心よりお祈り申し上げます。
ハーティアー・美栄子