清野育成会剣道クラブ

2014年10月26日

平成26年度北信高等学校新人体育大会

2014年10月25日(土)~26日(日)
平成26年度北信高等学校新人体育大会がおこなわれました。
場所は松代高校です。

26(日)は団体戦予選リーグ、決勝トーナメントです。

今日もいい天気です!




そして今日もOBそしてOBの保護者の皆さんも
応援にかけつけていただきました。
あたたかいですね。
ありがとうございます。


男子団体予選から
屋代-吉田 3-1
屋代-松代 1-3



































松代に1本もとれず(>_<)
予選2位あがりです。

女子決勝トーナメント
女子は予選1位あがりですので

準決勝
松代-屋代 1-4 勝ち














決勝
日大-屋代 1-2 勝ち














女子優勝です。
強かったです(^O^)


男子決勝トーナメント

屋代-篠ノ井 2-1 勝ち

準決勝
長商-屋代 4-0 負け










3決
屋代-日大 2-1 勝ち



































男子もがんばりましたが3位という結果でした。
悔しいね。

女子\_(^◇^)_/\(*^^*)/ おめでとっ!
男子まだまだこれからだ
下を向くな!県大会でリベンジだ
前にでて攻める剣道をめざして。































男子団体結果



優 勝 長野商業高校
準優勝 松代高校
3位  屋代高校
4位 長野日本大学高校
5位  篠ノ井高校
6位  長野高校
7位  長野工業高等専門学校
8位  飯山高校

女子団体結果
優  勝 屋代高校
準優勝 長野日本大学高校
3位  松代 高校
4位  長野商業高校
5位  長野西高校
6位  清泉女学院高校
7位  須坂園芸
8位 長野

個人戦結果

男子個人
優  勝 宮本(松代)
準優勝 宮入(屋代)
3位 堀内(長商)
4位 高橋(長商)
5位 大久保(長商)
6位 西 澤(長商)
7位 中 澤(篠ノ井)
8位 小 松(松代)

女子個人
優  勝 清水(松代)
準優勝 塚田(屋代)
3位  竹内(日大)
4位  兎(清泉)
5位  田中(松代)
6位 小山(屋代)
7 位 小山(屋代)
8位 穂刈(日大)










久しぶりに剣道の応援
勝っても負けても
私はすごく
楽しかったです。
でも
負けて帰ってきた息子ゎ
元気がありません。
悔しかったんだと思います。
家にかえってからは
剣道の話はしませんでした。
こんなときは
あったかいご飯。
今日はおでんにしました。

誰だって負けたくない
勝ちたい。
でも今日の負けにも意味がある。
次へと気持ちを切り替えて
がんばる力が君にゎある!
母はそう信じてまた応援していくよ。
ご一緒した保護者の皆さん
ありがとうございました。



  


Posted by myu at 18:26Comments(2)大会

2014年10月26日

平成26年度北信高等学校新人体育大会

2014年10月25日(土)~26日(日)
平成26年度北信高等学校新人体育大会がおこなわれてます!
場所は松代高校です。

26(日)は団体戦予選リーグ、決勝トーナメントです。

男子団体結果



優 勝 長商
準優勝 松代
3  位  屋代
4  位 日大
5  位  篠ノ井
6 位 長野
7 位  高専
8 位 飯山


  


Posted by myu at 14:39Comments(0)大会

2014年10月26日

平成26年度北信高等学校新人体育大会

2014年10月25日(土)~26日(日)
平成26年度北信高等学校新人体育大会がおこなわれてます!
場所は松代高校です。

26(日)は団体戦予選リーグ、決勝トーナメントです。





女子団体結果
優  勝 屋代
準優勝 日大
3  位  松代
4  位  長商
5  位  長野西
6  位  清泉
7  位  須坂園芸
8  位 長野

  


Posted by myu at 12:17Comments(0)大会

2014年10月26日

恩送り

上ジョビの佐藤芳直先生の講演会で
聞いた言葉です。

いい言葉だなーって想っていて
ネットで調べてみました。

Wikipediaより

「恩」とは、めぐみ、いつくしみのことである。
誰かから受けた恩を、自分は別の人に送る。
そしてその送られた人がさらに別の人に渡す。
そうして「恩」が世の中をぐるぐる回ってゆくということ。

「恩送り」では、親切をしてくれた当人へ
親切を返そうにも適切な方法が無い場合に第三者へと
恩を「送る」。
恩を返す相手が限定されず、
比較的短い期間で善意を具体化することができるとしている。
社会に正の連鎖が起きる。



そして100年後の恩おくりのお話がありました。

1985年3月17日、イラクのフセイン大統領は
「今から48時間が経過したらイラン上空を飛ぶ航空機は撃ち落とす」と宣言。
イラン・イラク戦争の最中のことだ。
イランの首都・テヘランを脱出しようと日本人は空港に急いだ。
各国は自国民のための救援機を出していた。
しかし、日本は出せなかった。
空港にいた265人の日本人はパニックに陥った。

その情報がトルコ首相の耳に入った。
緊急会議が開かれパイロットの志願者が募られる。
1人のパイロットが手を挙げた。
時間が迫るなか航空機がテヘランに到着する。
そして日本人向けのアナウンスが空港に流れる。
「救援機が到着しました!」。タイムリミットの75分前だった。
当時なぜトルコ航空機が日本人を救出したのか、
その理由を日本政府もマスコミも知らなかった。
後になって元駐日トルコ大使が次のように語っている。
「エルトゥールル号の事故における日本人の献身的な救助活動、
トルコの人たちは決してそのことを忘れていません。
今の日本人が知らないだけです…」。
時、トルコ航空機がなぜ日本人を助けに来たのか、日本政府もマスコミも知らなかった。
「エルトゥールル号の借りを返しただけです。」


1890年 エルトゥールル号遭難
1890(明治23)年秋。一隻の船が横浜を出航した。
はるばるトルコから明治天皇の表敬訪問に来ていた
オスマン帝国の軍艦だ。ところが折悪しく、
台風が接近していた。エルトゥールル号は強風にあおられて漂流し、
本州最南端の串本沖で船甲羅(ふなごうら)と呼ばれる岩礁に乗り上げた。
そしてエンジンが爆発、直後に沈没してしまう。
紀伊大島の樫野崎灯台の灯台守は大きな爆発音を聞いたという。
しばらくして断崖をはい登ってきたという一人の大男が
住民によって連れてこられた。
服は破け身体は傷だらけだ。難破だ。
そう直感した灯台守は地元樫野地区の住民を集める。
誰もが外国人を見るのは初めてだったに違いない。

 「そらもう海岸には何百人もの男が打ち上げられていたんやて。
この地区の人は一丸となって真っ暗闇の中で1人1人確認したちゅうことや。
遺体にまざって何人か息のある人もいた。
みんな服を脱ぎ自分の体温で暖めたそうや」。
犠牲者587人。そして生存者69人。
「でもなぁ、その年は台風続きで漁もできへん。
そやけど、この69人には何としても生きて欲しい。
それで非常食として蓄えていたコメや正月用の
鶏までも彼らに食べさせたっていうことや。もちろん着物も布団も…」。
「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、
今もトルコの人たちは忘れていません。




日本の歴史から学ぶこと
たくさんありますねー
佐藤先生の
「日本はこうして世界から信頼される国となった〜わが子へ伝えたい11の歴史」
とてもいい本ですよ~







  


Posted by myu at 08:00Comments(0)その他
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